もう会えないあなたへ

本屋が好きだ。買い物に街に出ると必ず大きな書店へ足を運ぶ。そして、気持ちが昂りたくさん購入してしまうのだが、それを読んでいるかどうかというといわゆる「積読」になることも多い。それでも本屋で試し読みでまんまと購入してしまうのだ。もういい歳だし、本はかさばるし、何度も段ボールにまとめ古本屋へ売ったことか。そのたびに、もう買うまいと思うのだが、ついつい本屋に立ち寄ってしまう。なぜそんなに本屋に惹かれるのか、一度考えたことがあった。が、それはまたの機会に書くとしよう。

そんな大好きな大型書店でいろんなジャンルの本の表紙やタイトルを見て品定めをしていると、一冊の平積みしてある文庫本の表紙が目に入った。表紙というか、文庫カバーをあとから新たに付けた感じのもので、その表紙いっぱいにメモのように書かれてあるかわいらしくきれいな手書きの字に惹かれたのだ。一度は、手に取らず通り過ぎたが、何となく目をとめたときに「もう会えないあなたへ」と書かれた一文に惹かれた。それでもそこを2度ほど通り過ぎたが、やっぱり気になり、3度目に手に取ったのだ。

「もう会えないあなたへ」

あなたの大きな背中を追いかけていました。
とても尊敬する人でした。

絶縁、死別、卒業、解散…
世の中には、人の数だけ「別れ」のかたちがありますね。
わたしたちにとっても必要な別れだったのでしょう。

生活の隙間であなたを思い出す日々に、
「人は何度でも出会いなおせる」と
教えてくれたのは、この本でした。
(裏面へ続く)

ここで、単行本を裏返して読み進む。

『歳を重ねるということは、同じ相手に、何度も出会いなおすということだ。
会うたびに知らない顔を見せ、人は立体的になる。』

「大丈夫だよ」と言ってくれるあなたはもういないけど
あなたと笑いあったきらめきも、手を離した苦しみも、
わたしは全部抱きしめて生きていこうと思います。

「ふたりとも明るい未来がいいね」って、笑えたわたしの未来は明るいはずだから。

「縁は切るものではなくて、ほどくもの」とも言いますが、時が満ちたその先で、
もう一度あなたと出会える気がするのです。
わたしだけでしょうか。

明日かもしれない。10年後かもしれない。この世ではもう会えないかもしれない。
それでも、もし生まれ変わっても、「あなたと出会いなおしたい」と、
わたしは強く思うのです。

(入社1年目・営業部H)
著:森絵都「出会いなおし」(文春文庫)のカバーより

わたしは、今年52歳になった。
もう一度出会いたい、「出会いなおしたい」ひとは、いるのだろうか。一番に思いついたのは、20年前に亡くなった母だった。そして10年前に亡くなった祖母。でも、なんだがこれを書いた人よりその思いが強くないように感じる。多分、亡くなった1、2年、いや3、4年はふとした時に会いたくなっていたのは確かなのだが。振った彼、振られた彼。うーーん、ピンとこない。学生時代の友だち、上司、憧れていた先輩、、、年月が経ちすぎたのか。ピンとこない。
もしかしたら、そう思うひとは、今当たり前のように会えているからなのか。でも、ふとした時に会いたいひとは、数多くいる。きっと生きる知恵的な感じで、さみしくなるのが嫌で、後悔するのが嫌で、考えないような脳の仕組み、長年培われた癖で「もう一度会いたい」と思うことが薄れてしまっているのかもしれない。でもこれも歳をとる醍醐味ではないかと思っている。
それしても、この「入社1年目・営業部H」さん。きっと私よりもお若いと勝手に思うのだが、なんて素敵な文が書けるんだ!と思った。お若いのに、、、いや若いがゆえに感じられることなのかもしれない。どんなかたちであれ、自分がまた会いたいと思えば「いつかまた会える」と思えるだけで、気持ちが弾んだのは、そのことばに触れ、わたしの心が若返ったからなのかもしれない。

コメント

タイトルとURLをコピーしました